漢方名処方解説

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3)漢方医学の歴史を辿る(前編)

ここからは漢方医学の歴史を前編と後編に分けて辿ってゆきます。漢方医学の原点と現在を結ぶことで、そもそも漢方とはどのような医学なのかを見てゆきたいと思います。まず日本における漢方の歴史はその背景から大きく2つに分けることができます。

前編は中国からの「輸入」に大きく頼っていた、冊封体制(中国中心の国際秩序体制)の時代です。そして後編は輸入してきた中国伝統医学を徐々に日本人に合う形へと改変して、日本独自の漢方医学を生み出していった時代です。

まず中国伝統医学の歴史はとても深く、その原型となる理論などは少なくとも紀元前1000~700年くらい昔までさかのぼることができるといわれています。文字通り「中国3000年の歴史」ということですね。

時間は進み紀元前200年頃、中国伝統医学からみた人体の構造や病気の仕組み、鍼灸を用いた治療法や健康法を記した黄帝内経(こうていだいけい)が成立しています。ちなみにこの黄帝内経(素問と霊枢という二部構成になっている書物です)が中国最古の医学書といわれています。

さらに紀元後200年頃には植物薬・鉱物薬・動物薬などの薬効を記録した神農本草経(しんのうほんぞうきょう)も書かれています。神農本草経はこれらの薬を上薬・中薬・下薬にカテゴライズしたことでも有名であり、中国最古の薬物辞典といわれています。

そして同じ頃の後漢の時代には張仲景が著したとされる傷寒雑病論(しょうかんざつびょうろん)が生まれます。傷寒雑病論は後に「感染症対策マニュアル」のような存在である傷寒論(しょうかんろん)と慢性病を扱った金匱要略(きんきようりゃく)に分離独立します。

このように紀元前と紀元後をまたぐ数百年の間に中国では植物や鉱物を用いた薬物治療、それに加えて鍼灸治療も行われていたことがわかります。傷寒論と金匱要略が成立した頃の日本は弥生時代の後期、邪馬台国の卑弥呼が争いを鎮めて、紀元後239年に中国(当時は魏)から親魏倭王の称号と金印を授かったとされています。

日本が小国同士の戦いに明け暮れていた時代に中国では感染症に対する薬物治療が行われていたことになり、当時の中国がいかに「先進国」だったかがわかります。

中国伝統医学が日本に伝わってきたのは紀元後400年頃のヤマト政権の時代です。多くの渡来人が来日して進んだ大陸の鉄器や土器の製造技術が流入してきた時代でもあります。その頃、倭の五王の一人とされる允恭(いんぎょう)天皇が来日した医師から中国伝統医学を用いた治療を施されてという記録があります。

600年頃からは聖徳太子が指揮した遣隋使、隋滅亡後は遣唐使によって継続的に中国伝統医学の輸入が行われました。753年には有名な鑑真和尚が仏教の教えとともに朝鮮人参、桂皮、甘草、大黄などの生薬を日本に持ち込み、それらは正倉院に保管されました。生薬の一部は1000年以上の時を経て、なんと現在でも薬効成分が失われていないそうです。

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