これまで陰陽論と五行論という漢方医学(中医学)において最も基礎的な理論ともいえる両論を簡単に説明してきました。ここからはより具体的に人体の仕組みを扱った理論である気血津液論(きけつしんえきろん)と臓象学説(ぞうしょうがくせつ)を取り上げてゆきます。
気血津液論と臓象学説は漢方医学(中医学)における生理学にあたる理論です。気血津液論と臓象学説の理解を通して健康な心身(正常な心身)とはどのようなものかを知ることができます。ここを出発点に病気の状態、特に慢性病とその改善方法へとつながってゆきます。
気血津液論と臓象学説は基礎理論から実際に漢方薬を運用するための懸け橋のような、極めて重要な存在です。したがって、知っておかなければならない重要なポイントが多いことにもなります。そこで両理論について本ページで概説を行い、次章以降でより詳しくその内容を掘り下げてゆきます。
気血津液論で扱う気(き)・血(けつ)・津液(しんえき)とは人体を構成する最も基礎的な物質です。これら気・血・津液が充実し、円滑に巡ることによって五臓が機能し、心身は健康な状態となります。
同論ではこれら気・血・津液が持つ機能やその代謝について論じています。簡潔に表現すれば気血津液論は気・血・津液がどのようなはたらきを担っているか、それらがどのように生成され消費されるかを説明しています。下記ではまず、ざっとそれらのはたらきを説明してゆきます
気は漢方医学(中医学)において最も重要なキーワードです。その一方で漢方医学(中医学)という限定された領域以外、日常生活においても「あいつは元気がない」や「気力が充実している」というように「気」という言葉はしばしば顔を出します。
実際、広辞苑において「気」については多数の説明がある中で「生命の原動力となる勢い。活力の源。」などと述べられています。漢方医学(中医学)において気には細かな役割がいくつも規定されていますが、気の役割は私たちがイメージするとおり「生命エネルギー」のようなものといえます。
身体に気が充実していれば身体は活発に動き、風邪などの病気にもなりにくく、いつも温かな状態が維持されます。下記で登場する血や津液も気の力で身体内を円滑に循環して各々の役割が充分に発揮できる環境が整います。このように気は人間が生きてゆくうえで最も大切な物質といえます。
血のはたらきは身体を栄養してゆくことです。血が充実していれば五臓六腑が担っているはたらきが円滑に機能し、心身ともに壮健で安定した状態となります。漢方医学(中医学)における血のイメージは全身を栄養するという点で西洋医学的な血液と比較的似ているかもしれません。
その一方で漢方医学における血は精神活動の安定にも寄与しており、この点は西洋医学的な血液の役割と大きく異なっています。ちなみに一般的に「血」は「ち」と呼びますが、漢方医学(中医学)においては「けつ」と発音されることが多いです。
津液は身体内における血以外の水分のことを指し、その充実によって身体は潤いや柔軟性を与えられます。充分な津液が身体に満ちていれば肌、喉、眼、髪などはみずみずしい状態となります。しばしば津液は水(すい)とも呼ばれ、意味としても津液と同じように扱われます。日本漢方においては気・血・津液よりも気・血・水という呼び方の方が一般的です。
人間の生命維持のために必要な気・血・津液は主に食べ物と飲み物の摂取によって生み出されます。ここではこれら気・血・津液がどのような工程を経て生み出されてゆくのかを解説します。この解説の中にはどうしても後述する五臓六腑の話も入ってきてしまうので、まずはざっと読み進めて頂ければと思います。
それではまず、気が生まれる流れを見てゆきたいと思います。私たちは日頃、食べ物や飲み物を摂取し、呼吸をすることで生きています。漢方医学(中医学)的に説明すると、摂取された食べ物や飲み物は脾(ひ)において水穀の気(栄養素の塊のような存在です)となります。
この飲食由来の水穀の気と呼吸によって大気から取り込まれた清気(せいき)が結合することで気が生まれます。気は血や津液に先立って生まれることになります。
生まれた気は脾から肺(はい)に移され、そこから全身に散布されてゆきます。その後は肝(かん)の力によって気の運行はコントロールされ、上記で紹介したような能力を発揮し、消費されてゆきます。このように飲食と呼吸によって生まれる気を後天の気と呼びます。
「後天の気」があれば「先天の気」も存在します。人間は誕生する際、両親から精(せい)という物質を受け継ます。精は生命エネルギーの結晶のような存在であり、腎(じん)に蔵されています。この精から生み出される気が先天の気と呼ばれるものです。生まれつき体力が充実している子は親から充分な精を受け継いだと漢方医学では解釈します。
気の次は血の話に進みます。血は脾で生まれた気が土台となって生まれます。脾で生成された気の一部は脈中(血管のようなものです)に進み、心(しん)のはたらきによって赤く変色します。そこから心の力と肝のコントロールによって全身を巡り、栄養してゆきます。血は気の栄養する力が凝縮されたものとも考えられます。
最後の津液もまた脾で生まれます。摂取された食べ物や飲み物は脾で水穀の気となり、その中の液体成分が津液となります。生まれた津液は肺へと運ばれ、三焦(さんしょう)という通路を通って全身に散布されてゆきます。
気・血・津液は人間が生きてゆくうえで欠かせない物質です。これら気・血・津液が充分に存在し、スムースに身体内を巡っていれば後述する五臓などがしっかりとはたらき、心身は健康な状態が維持されます。
換言すれば気・血・津液が不足したり、充分にあってもうまく巡らなかったりすれば病気の状態となってしまいます。これらの不具合を改善してゆくのが漢方薬の重要な役目となります。そういった点から、気・血・津液のはたらきや次章以降の気・血・津液に絡んだトラブルを理解することは重要です。
臓象学説とは身体内の五臓六腑のはたらきを説明したものとなります。五臓とは肝(かん)・心(しん)・脾(ひ)・肺(はい)・腎(じん)を指します。さらに六腑とは胆(たん)・小腸(しょうちょう)・胃(い)・大腸(だいちょう)・膀胱(ぼうこう)・三焦(さんしょう)を指しています。
既に述べたとおり人間が生きてゆくうえで気・血・津液は必須の物質であり、それらは飲食を通して生み出されました。これら気・血・津液が生み出されるのは五臓六腑が協調してはたらいているからであり、さらに五臓などが気・血・津液を消費することで生命維持が行われています。下記では五臓六腑、各々のはたらきを見てゆきましょう。
肝は漢方医学(中医学)において気・血・津液の巡りをコントロールしている司令塔のような存在です。特に気と血の巡りに強く関係しており、これらの流れを調節するはたらきを疏泄(そせつ)と呼びます。それ以外にも血をためたり、感情の安定化にも貢献しています。
肝は五行論における木に属し、六腑のうち胆と表裏の関係(臓が裏なので肝が裏)を築いています。胆は飲食物の代謝を助けたり、肝と協調して精神活動を支えています。肝は筋肉や眼のはたらきも調節しているので、肝の不調はこれらの不調にもつながります。
心は漢方医学(中医学)において血を全身に送り出す「ポンプ」としてのはたらきに加えて高度な精神活動(思考、分析、判断など)や意識の維持をつかさどっています。ポンプとしての機能は西洋医学的な心臓と同様ですが、後者の役割は漢方医学(中医学)独特のものがあります。
心は五行論における火に属し、六腑のうち小腸と表裏の関係を築いています。小腸は胃から降りてきた飲食物の糟粕(残りカス)から主に水分を再吸収します。さらに心は舌、つまり味覚や発声にも関係しています。
脾は漢方医学(中医学)において気・血・津液を生みだす中心的な臓であり、人体における「工場」のような存在です。くわえて気や津液を心や肺に送ったり、血が脈外に出ないように(出血しないように)するはたらきも担っています。
脾は五行論において土に属し、六腑のうち胃と表裏の関係を築いています。胃は飲食物の消化を通して脾の機能をサポートしています。そして脾は口、手足、肌肉(きにく)の動きや機能を支えています。登場した肌肉は肺と関わりが深い最表面部の皮毛と肝との関わりが深い筋肉の間に位置します。
肺は漢方医学(中医学)において呼吸や気と津液の巡りに深く関与しています。呼吸によって大気から清気を取り入れ、脾から受け取った気や津液をシャワーのように全身に散布してゆきます。体表に散布された気は病邪を跳ね返す「バリア」としても機能します。
肺は五行論において金に属し、六腑のうち大腸と表裏の関係を築いています。大腸は排泄に関係しており、この点は西洋医学的な考え方と同様です。他に肺は人体において再表面の皮毛、鼻や喉と関係が深いです。
腎は漢方医学(中医学)において精の貯蔵、排尿などを介した水分代謝を主に担っています。精は上記の「気の生成」の項目でも登場した生命エネルギーの結晶のような存在であり、気血の生成や成長・発達・生殖に関与します。水分代謝に関して有効利用できる津液の循環を肺と連携して行います。さらに不要な水分を尿として排泄します。
腎は五行論において水に属し、六腑のうち膀胱と表裏の関係を築いています。膀胱は腎と共同して排尿を行います。腎は耳、そして外陰部と肛門と関連が深いとされています。腎が健全であるなら(腎に精が充分に貯蔵されているなら)聴力は維持され生殖活動や排泄が滞りなく行われます。
上記で五臓六腑のはたらきを簡単に解説してきました。ここで注意(確認)が必要なのですが、これまで見てきた通り漢方医学(中医学)における肝・心・脾・肺・腎は西洋医学における肝臓・心臓・脾臓・肺・腎臓とは全く異なった存在(概念)であるということです。会社の健康診断で肝機能が弱っていると指摘されても、決して漢方医学(中医学)における肝の不調と関連はありません。
その逆も同様で、漢方医学(中医学)における肝の不調が見受けられたとしても、西洋医学的な肝機能の低下や肝炎の可能性が高まっているわけではありません。くれぐれもこの点は間違えないようにしてください。
ここまで気・血・津液と五臓六腑のはたらきについて説明してきました。ここではこれらの関係性についてまとめてみたいと思います。
気・血・津液は身体を構成し、さらにそれ自体が特有の機能を持つ、生命維持のための最も基本的な物質でした。これら気・血・津液は五臓六腑の有機的な共同作業によって、飲食物の摂取と呼吸を通じて生まれました。生成された気・血・津液は五臓などに送られ、肝・心・脾・肺・腎の各々のはたらきを行うための資源として消費され、新たな気・血・津液を生産します。
これでわかるように人体は気・血・津液と主に五臓六腑の連携によって成り立っています。詳しく紹介しきれませんでしたが、三焦(さんしょう)や奇恒の腑と呼ばれる脳や骨なども生命活動には必須です。しかしながら、やはり「主役」は気・血・津液と五臓六腑です。
漢方医学(中医学)から見て健康な状態とはどのようなものかを知るために気血津液論と臓象学説は必須の理論です。ここから出発して健康ではない状態、つまり病気(主には慢性病)の状態を知ることが初めて可能となるのです。次章からはより詳しく、気血津液論と臓象学説をそれらが関連した異常も含めて解説してゆきます。
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