不妊症の定義はさまざまですが多くの場合「避妊をせずに性交をしているカップルが1年以内に妊娠しない場合」とされています。今日の日本においては5~10組に1組が不妊症というデータも存在し、代表的な「現代病」といえるでしょう。そのなかでも不妊症の原因が男性側にある場合、男性不妊症といいます。
一昔まで不妊症は「女性の問題」としばしば考えられてきました。しかし、WHOの調査から不妊症の原因を男女別で見てゆくと「男性のみに原因」は約25%、「女性のみに原因」は約40%、「男女両方に原因」は約25%、そして残り10%は原因不明という内訳になっています。このデータから男性が関係している不妊症は半数の約50%にのぼることがわかります。つまり「女性の問題」ではなく、夫婦が協力して解決すべき問題といえるでしょう。
その一方で女性の不妊症の原因が多岐にわたる反面、男性不妊症の原因はほぼ精子の濃度や運動率などに限定されます。それ以外にED(勃起不全)なども挙げられますが本項目では主に精子の問題を中心に扱ってゆきます。
妊娠に必要な精子の条件、つまり「正常」と定義される精子の条件はデータによって少々変化します。そこで下記ではWHOが「正常値」と定めるデータをみてゆきます。
1)精子量:2.0ml以上
2)精子濃度:2000万/ml以上
3)精子運動率:50%以上(またはより活発に運動する精子が25%以上)
4)精子奇形率:15%未満
5)総精子数:4000万以上が望ましい
上記で紹介した数値はあくまでも「参考値」であり、定義はしばしば変更されることがあるので、神経質にとらえず大まかな理解程度に受け止めていただきたいと思います。実際、当薬局においても総精子数(「精子量×精子濃度」によって得られます)が1500万くらいでも妊娠に至ったケースが数多くあります。
しかし、なかなかイメージしにくい正常な精子の量的かつ質的状態を把握するためには有効なデータです。下記では上記を参照しながら男性不妊症をより細かく分類してゆきます。
男性不妊症は主に乏精子症、精子無力症、精子不動症に大別されます。
乏精子症は精子の「量的問題」、そして精子無力症と精子不動症は「質的問題」と考えることができます。
乏精子症(ぼうせいししょう)とは精子の量(精液の量ではありません)が少なく、自然妊娠が難しい状態を指します。より厳密には総精子数が2000万以下の状態とされますが、量以外にも精子運動率や精子奇形率などもあわせて総合的に判断されます。男性不妊症の中でもこの乏精子症は大きなウエイトを占めています。
精子無力症とは受精するために前進してゆく力の弱い精子が多い状態を指します。さらに精子不動症とはすべての精子が動いていない状態です。両者とも精子がすべて死滅しているわけではありませんが自然妊娠が難しい状況といえます。
上記で挙げてきた乏精子症、精子無力症、精子不動症以外にも精子の異常は存在します。
無精液症は射精の感覚はあっても精子を含んだ精液が出ない状態であり、精液が膀胱などへ逆流してしまうケースなどを含みます。膀胱へ精子が流れてしまう射精を逆行性射精とも呼びます。
奇形精子症は正常な形態を持った精子が少ない状態です。精子の「しっぽ」に奇形があるとうまく精子が前進できず、頭部に奇形があるとうまく卵子と受精できなくなってしまいます。
精子死滅症は何らかの原因で精液中の精子が死に絶えてしまっている状態です。広義には精子不動症にも含まれます。
さらにこれら以外にも広い意味で膣内にうまく射精ができない射精障害、勃起がうまくゆかないED(勃起不全)が包括される精機能障害も男性不妊症に含まれると考えられます。不妊症の定義からは大きく脱線してしまいますが、セックスレスも見逃せない問題といえるでしょう。
男性不妊症の場合、精子の状態によってその治療法が分かれてゆきます。まず薬物療法としてはビタミン剤や血管を拡張して血流を改善する薬などが使用されます。
治療法とはやや異なりますが一部の抗不安薬、睡眠導入薬、降圧薬などは副作用としてED(勃起不全)などの精機能障害が知られています。これらの薬は近年、服用者も増加しており長期間使用する傾向があるものなのでお子様を望まれる場合は意識しておくことが大切です。
男性不妊症に対する治療は人工授精、体外受精、そして体外受精の一種でもある顕微授精などがメジャーといえるでしょう。上記のどの治療法が適しているかは精子の濃度や運動率などを参考に決定されます。一般的に成功率は人工授精<体外受精<顕微授精といわれていますが、費用も後者ほど高額になる傾向もあり総合的な判断が必要となります。
上記にくわえて最近ではTESE(TEsticular Sperm Extraction)と呼ばれる手術も実施されています。しばしば「テセ」と発音されるTESEとは精巣内精子採取術のことであり、外科的に陰嚢から精子を回収する手術です。具体的には陰嚢を切開し、採取した精巣から精子を回収します。TESEの変法として顕微鏡を用いてより入念に精子を探索するMD-TESE (MicroDissection-TESE)、顕微鏡下精巣内精子採取術も存在します。
漢方医学的に男性不妊症を考える場合、大切なことは精子の濃度や運動率のような「ミクロの視点」ではなく、身体全体の様子から問題点を見出す「マクロの視点」です。無論、西洋医学的に精子の状態を把握することは漢方医学的にも重要です。しかし、例えば「精子の濃度が低いからこの漢方薬を使用する」というように単純に決定されません。
まず漢方医学的に生殖活動には腎(じん)が深く関わっています。腎とは西洋医学的な「腎臓」ではなく、生命の誕生や成長に関与する物質である精(せい)が貯蔵され、それに基づいたはたらきを行う漢方医学的な腎を指しています。
精は今風の表現を借りるならば「生命エネルギーの結晶」のような存在です。私たちの身体内に存在している精は両親から受け継いだ精と、主に食べ物を摂取することによって後天的に獲得された精が合わさったものです。
この精を消費してゆくことで成長、身体機能の維持、そして生殖活動が行われています。したがって、精の不足、漢方医学的には腎虚と呼ばれる状態は身体に多くの影響を及ぼし、そのひとつが男性不妊症といえます。
精の不足以外にも男性器を栄養する血の不足も男性不妊症につながります。さらに血の不足だけではなく、上記で述べたとおり精は食べ物から後天的に取り入れられるので消化器(漢方医学的には脾胃(ひい)といいます)の調子が悪ければ、この改善も大切です。
補うだけではなく、気や血に滞りがみられる場合はこれらが身体内で円滑に循環できるようにする必要があります。それは気や血はスムーズに流れてこそ本来のはたらきがなされるからです。気は精神的なストレスによってしばしば滞ってしまうので睡眠時間の確保やリラックスは非常に大切です。もし精索静脈瘤がある場合はこれを漢方医学的にも血の滞りと考えて治療してゆきます。
腎に蓄えられている精の充実が生殖活動に欠かせないことは既に述べてきたとおりです。したがって、漢方薬を用いて精を補給することが直接的な治療法となります。精を補うことは腎のはたらきを補うことにもなるのでこれを補腎と呼び、補腎する生薬を補腎薬と呼びます。
具体的な補腎薬には鹿茸や地黄などが挙げられ、主にこれらを含む漢方薬が用いられます。特に鹿の育ち盛りの角である鹿茸は精を補う力が強く頻繁に用いられます。漢方薬ではありませんが黒胡麻、黒豆、きくらげなどの黒い食べ物が精を補う食品として有名ですので積極的に摂るのが良いでしょう。
精を補給するだけではなく男性器を栄養する血を充実させることも非常に重要な漢方薬の役目です。血を補う生薬である補血薬としては上記でも登場した地黄、当帰、芍薬、阿膠、酸棗仁、竜眼肉などがあり、しばしば精を補う漢方薬と併せて使用されます。
肝腎同源という言葉があり、これは肝に蓄えられている血と腎に蓄えられている精は相互変換が可能ということを表しています。つまり、臨床的には精の補充と血の補充は不可分といえます。その他にも脾胃を立て直す生薬である補気薬も欠かせません。具体的には人参、黄耆、大棗、白朮、甘草などが挙げられます。
男性不妊症の治療に用いられる漢方薬はこれら精や血を補う生薬を中心に気を補う生薬などを配するという形が基本となります。これら以外にも個人によって体質は異なりますのでそれに合わせて漢方薬を対応させる必要があります。したがって、実際に調合する漢方薬の内容もさまざまに変化してゆきますので、一般の方が自分に合った漢方薬を独力で選ぶのは非常に困難といえるでしょう。
男性不妊症において精子のコンディションを整えることは非常に大切です。ここでは日常生活において重要かつ簡単に実践できるポイントを挙げてゆきます。
男性不妊症と女性不妊症で大きく異なるのが生殖器の温度(体温)管理です。女性の場合、下腹部を温めた方が良いのですが男性の場合は陰部を温め過ぎないことが重要とされています。
これは陰嚢内温度が体温より約3℃程度低いときの方が効率よく精子が生まれやすいからです。そもそも陰嚢にヒダが多いのは表面積を広くして、熱を逃がそうとしているからなのです。かといって、無理に冷やし過ぎる必要はなく、あくまでも温め過ぎない程度の認識で問題ないでしょう。
より具体的には熱いお風呂やサウナに長時間入らないことが大切です。さらに同様の理由からパンツはボクサーパンツやブリーフよりも通気性が良くて熱がこもりにくいトランクスが良いでしょう。
喫煙が生殖活動において有害というデータは数多く、両者の関連性はほぼ確実とされています。うまく精子と卵子の受精が成立しても流産の確率が高まるという報告もあります。したがって禁煙はまず行うべきことといえるでしょう。
過度な飲酒も禁物です。特に少量の飲酒で顔が赤くなったり気分が悪くなりやすい方は要注意です。お酒が強い方も二日酔いをするような無茶な飲み方は避けるべきでしょう。
陰部への過剰な圧力は血流の阻害や体温の上昇に繋がりやすくなります。具体的には長時間の座り仕事、自転車やバイクの運転が挙げられます。本格的な機能性重視のサイクリングウェアは陰部への締め付けが強いので注意が必要です。
精子は毎日、精巣でつくられています。したがって、日々の生活状況を精子は色濃く受けることになります。精子の状態が良好な方も繁忙期や疲労が蓄積している時期は精子の濃度や運動率が低下することが示唆されています。
しかし、ストレスを受けないように生活することは現実的には非常に困難といえます。したがって、具体的には睡眠時間と休日を確保することが大切となります。
患者は30代後半の男性・自営業。結婚後、適度な夫婦生活はありましたが4年が経過しても子宝に恵まれず、奥様が婦人科において健診を受けても特に問題は見つかりませんでした。そこで奥様の勧めもありご主人様も一緒に健診を受けたところ、精子の数と運動率が平均より下回っているとの指摘。診断としては乏精子症とやや精子無力症気味というものでした。
病院からは「自然妊娠はなかなか難しいレベル」と伝えられ、人工授精を数回試みるもうまくゆきませんでした。しかし、その先の体外受精や顕微授精へ進むのに抵抗を覚え一旦保留。ご自身がサプリメントや健康食品が好きだった延長で元々漢方薬にも興味があり服用を決意。当薬局へはご夫婦でご来局されました。
詳しくお話を伺うと奥様の方は軽い貧血と冷え性(冷え症)があるくらいで生理不順や生理痛、子宮筋腫などの婦人科系の異常はなし。ご主人様の場合は上記の精子の問題以外に、下痢傾向と疲労感が顕著にみられました。そこでまず、ご夫婦で精を補う力が優れている鹿茸のカプセルを服用して頂きました。そしてご主人様には消化器の力を立て直して疲労感を改善する人参、白朮、大棗などから構成される漢方薬も併用をお願いしました。
生活面ではついつい夜更かししがちとのことで、睡眠時間の確保を最優先とお伝えしました。夜中に目が覚めることも多いと伺ったので、カフェインを含むコーヒーやエナジードリンクの摂り過ぎも控えるようあわせてお願いしました。
漢方薬服用から4ヵ月が経過した頃には奥様の貧血による立ちくらみなどの症状は改善し、ご主人様も食欲が出てきていました。数年来、続いていた下痢や軟便も無くなり体力的にもかなり余裕が出てきたとのこと。その後、半年間ほど漢方薬を継続して頂いていた段階で奥様が無事に自然妊娠されました。
ご主人様はその後も体力強化のために漢方薬は継続されていました。それから約3年が過ぎた頃には再び奥様が妊娠。第二子出産後は奥様の産後疲れなどに対応する漢方薬も調合。その際はいつも家族四人でご来局されています。
一昔前は不妊症の原因や責任は女性だけにあるという風潮がありました。しかし、現在はご夫婦が一緒に向き合ってゆく問題であると理解され始めています。したがって、他の病気や体質と違ってご夫婦双方が共通した不妊症に対する理解や治療方針を確立することが重要になります。
当薬局では男性不妊症の症状が漢方薬の服用によって好転する方がとても多くいらっしゃることから、男性不妊症と漢方薬とは「相性」が良いと実感しています。是非一度、お悩みの方は当薬局にご来局くださいませ。